世界的に稀有なカイロプラクティック専門の医院

竹谷内医院は、カイロプラクティックなどの手技療法専門のクリニックとして業界を牽引し続けてきました。

 

10年以上にわたり、重い肩こり、腰痛や脊柱管狭窄症、頚椎症、変形性膝関節症などの脊椎疾患及び関節症の治療において成果を上げています。

竹谷内医院の変遷

2007年3月

東京都中央区八重洲に「竹谷内脊椎クリニック付属竹谷内カイロプラクティックセンター」開設。

2012年2月

診療所名を「竹谷内医院」に変更。

2017年11月

東京都中央区日本橋に移転し現在に至る。

竹谷内医院・院長 竹谷内 康修

竹谷内康修

整形外科医にしてドクター・オブ・カイロプラクティックの称号を持つ竹谷内康修 院長は脊椎疾患、関節症などに対する手技療法を専門としており、脊柱管狭窄症・整形外科医にしてドクター・オブ・カイロプラクティックの称号を持つ竹谷内康修 院長は脊椎疾患、関節症などに対する手技療法を専門としており、脊柱管狭窄症・頚椎症・変形性膝関節症などの書籍を10冊以上著しています。

院長・竹谷内 康修の経歴

2000年3月、東京慈恵会医科大学医学部卒業。
2000年4月、福島県立医科大学整形外科学講座へ入局。
腰痛治療の権威、菊地臣一(国際腰椎学会元会長、福島県立医科大元学長)に師事。
福島県立医大附属病院、総合保原中央病院(現、北福島医療センター)、福島県立大野病院(現在は閉鎖)等で整形外科の診療に3年間携わる。
2003年、世界のカイロプラクティック界をリードしてきたナショナル健康科学大学(イリノイ州シカゴ近郊)で3年間留学。
2006年8月に日本人で初めて同大を首席で卒業しDoctor of Chiropracticの称号を取得。

竹谷内一家の歴史

祖父・竹谷内 米雄

(たけやち よねお 1907~1975)

竹谷内米雄

当院・院長の祖父・竹谷内米雄は、国内においてカイロプラクティック界のパイオニアとして、その普及に生涯を捧げました。
第二次世界大戦を挟んで、外来語が歓迎されていない時代に一貫して「カイロプラクティック」を標榜し、その発展に大きく貢献します。

国際感覚に秀でていた祖父・米雄は、世界のカイロプラクティック事情をつぶさに収集し、海外から多くのカイロ界の権威者の招致や、日本人留学生を海外に送り出すことで、国内のカイロプラクティック界の国際化に尽力しました。

1949年に開設した港区北青山のカイロプラクティック治療院を運営しつつ、業界団体である日本カイロプラクティック総連盟の会長を務めました。
1961年、米雄55歳の時に世界各国を旅行し、見識を広める中で、日本のカイロプラクティック業界を世界に通用する団体にしたいという大きな目標を持ったそうです。
その先駆けとして、1964年に自身の次男である一愿(当院長の父)をイリノイ州シカゴ近郊にあるナショナルカイロプラクティック大学(現、ナショナル健康科学大学)に送り出しました。

父・竹谷内 一愿

(たけやち かずよし 1943~2012)

竹谷内一愿

当院・院長の父・竹谷内一愿は、カイロプラクティックの発祥地であり、先進国である米国のナショナルカイロプラクティック大学(現、ナショナル健康科学大学)を卒業し、第二次世界大戦後の日本人で最初のカイロプラクティック大学を卒業したカイロプラクターとなりました。
1969年に父・一愿は、国内では実に40年ぶりとなる正規のカイロプラクターとしてめでたく日本に凱旋を果たしました。
さらに父・一愿は祖父・米雄の後継者として日本カイロプラクティック総連盟の会長を19年間務め上げ、その発展に大きく貢献したとして、日本のカイロプラクティック業界の中興の祖とされています。
1995年に開設された日本で初めてカイロプラクティックの大学教育を行う豪州公立RMIT大学日本校カイロプラクティック科(現、東京カレッジ・オブ・カイロプラクティック)を設立し、晩年には東京カレッジ・オブ・カイロプラクティックの副学長を務めました。
数々の功績が世界で認められ、世界カイロプラクティック連合から1995年に栄誉賞が授与されています。

2019年4月、東京日本橋鍼灸治療室を開設

当院・院長は、一族のカイロプラクティックへの想いを継承し、2007年3月に世界的にも珍しいカイロプラクティックの専門医院を開設しました。

その後、現在に至るまで一般的な医療だけでは対処が難しい様々な難病と向き合い、成果を上げ続けてきました。

2019年4月、竹谷内医院はより多面的により多くの症状に向き合える統合医療の実践を目標に掲げ、同医院内に東京日本橋鍼灸治療室を開設いたしました。

〔当室の鍼灸治療の3つの特徴〕