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現在、竹谷内医院、及び東京日本橋鍼灸治療室は、東京都中央区日本橋三丁目にあります。

しかし、数年前までは京橋駅にほど近い東京都中央区八重洲二丁目にありました。

 

私が入職する前の話ですが、まだ八重洲にあった頃の竹谷内医院の近くで、月に一度くらいのペースで治療の勉強会が行われていたので、毎月々、行きと帰りに竹谷内医院を眺めていました。

 

私がまだ吉祥寺のカイロプラクティックの治療院で勤務していたころ、竹谷内医院で当時働いてたスタッフが治療を受けに通院してくれていたので、「竹谷内医院」の話はよく聞いていました。

 

カイロプラクティックの専門学校時代に使っていたテクニックの教科書の著者も二人の竹谷内先生だったので、いづれかの竹谷内先生が院長なのだろうと思っていましたが、また別の竹谷内先生であることを知ったときは衝撃を受けました。

 

竹谷内先生の一族は代々、カイロプラクティックの名家で、おじいさん(竹谷内 米雄 先生)の代から脈々とカイロプラクティックに携わっているという事実を私は入職してから知りましたが、どうやらカイロプラクティック業界では有名な話のようでした。

 

私は、八重洲という地名を耳にすると、竹谷内医院との出会いを思い出します。

 

さて、「八重洲」という地名ですが、その名前の由来は、徳川家康の通訳といて活躍したオランダ出身の航海士、ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンステイン(1556~1623)の屋敷があったことから、彼の名前にちなんで命名されたそうです。

 

現在では、東京駅の皇居側(西側)を「丸の内」、東京駅の日本橋川(東側)を「八重洲」と呼びますが、ヤン・ヨーステンの屋敷は、江戸城の内堀沿いにあったそうなので、正確には現在の丸の内エリアが本来の八重洲なのだそうですね。

 

昭和の初期頃は、まだ駅の日本橋側(東側)に「八重洲橋」という橋が架かっていたらしく、東京駅の皇居側(西側)は「八重洲町口」、東京駅の日本橋側(東側)を「八重洲橋口」と呼んでいたそうです。

ちなみに、現在ヤン・ヨーステンの記念碑は現在の日本橋三丁目交差点にあります。

竹谷内医院からもほど近い場所です。

 

八重洲通りの中央分離帯にあるので、是非ご来院のついでに確認してみて下さい。

 

歴史を感じることは、身体にも良い影響を及ぼします。